DAIMA は ドラゴンボール超 と繋がるのか

 

ドラゴンボールDAIMAに対して誰もが一度は脳裏によぎるであろう疑問

「DAIMA は ドラゴンボール超と繋がるのか?」

今回はこのテーマについて
個人的に情報を整理した結果を、せっかくなのでここに残しておこうと思う。

(※記事内では、「ドラゴンボールDAIMA」をDAIMA、「ドラゴンボール超」は超と表記します。)

(またそれら作品のネタバレ等が含まれる可能性がありますので、そういったものに触れたくない方の閲覧はお勧め致しません)

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【作品の時系列】

 まずはじめに、DAIMA、超、両作品それぞれの時間軸、時系列を明らかにしておきたい。

ドラゴンボールの原作本編では、ブウ編時点で悟天が7歳、トランクスがその1歳上で8歳となっている
(天下一武闘会、試合前のアナウンスで年齢を紹介されている)。

DAIMAの1話はトランクスの9歳の誕生日、誕生パーティーから話が展開される。

なので時系列で言うと、
DAIMAはブウ(純粋悪)を倒してから約1年以内程度、精々数ヵ月後の出来事という事になるだろうと思われる。

超の冒頭部であり、前身となった劇場版作品「神と神」では
ブルマ38歳の誕生日、誕生パーティーの日が舞台となっている。

「神と神」における、公式側の「あらすじ」によると

東映のHPでは、ブウを倒してから数年後、と紹介されており
(https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/2013_dragonballz/story/)

同作品のアニメコミックを出版した集英社のHPでは、具体的に4年後と表記されている。
(https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-870883-6)
 
集英社側の、4年という数字を正しいとするかはともかく
どちらも数年は経ってるという事は共通している。

こうした情報に加え、
「神と神」作中でも、チチの発言から、悟飯はパーティー内でアルコールを飲んでるらしい事が分かるし
ビーデルも懐妊してるという設定でもある事から

1年以上、さすがに2年以上は経ってるとするのが物語としては自然であろうと思われる。

これらの情報をまとめると
 
DAIMAはブウを倒してから数ヵ月程度後の物語で、
超はブウを倒して数年、資料によっては4年、経過した後の物語であると言え

時系列の順番では、ブウ編→DAIMA→超 と言ってもまず問題はないであろう事が示された。

 さて、ここからが本題であり、次に当然浮かぶ疑問として 

DAIMAと超、この二つの物語は地続きに繋がっているものなのかという事である

ここからはそれを検証していきたい。

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【DAIMAは超に繋がるのか】

結論から言ってしまうと、

断定はできないが

二つの物語は繋がっていない可能性が高い

という事が、情報を整理し照らし合わせた結果、導き出された。

いくつかあるその根拠を明らかにしていく。

【根拠1 界王神、キビトの合体分離の時期と方法の違い】
 

・分離する時期

原作、ブウ編においてポタラによって合体した界王神とキビトの、合体が解け、分離する時期や顛末がDAIMAと超で異なっている。

DAIMA1話にて界王神とキビトは分離した状態で登場する。
その後、敵の謀略で悟空らと同様に界王神も子供化し、悟空と共に魔界を冒険する、というのがDAIMAという作品のシナリオである。

これに対して、超や、その前身における「神と神」では、界王神はキビトと合体したままで登場するため、

ブウ編やDAIMAから数年後(資料によっては4年後)においても二人の合体は継続したままという事になる。

DAIMAにおいて、キビトとの合体が嫌だったので分離したという界王神が、数年後もまた合体した状態で居るのは違和感がある。

そもそもが合意のうえで合体したわけでなく、事故のような形の合体であったため、分離したいという欲求は理解できるのだが
そこからまた合体するというような発想に及ぶのはよく分からない。

合体しないと為せない技術や能力があるわけでもなく、戦闘力も大したものではないだろうので。

仮に再度合体したとして、
その後の超の物語の中で、界王神とキビトは合体を分離するのだから、さらに違和感は強まる。

合体が嫌だから分離し、また合体をし、また合体が嫌だから分離した、というのは、
いささか何がしたいのかよく分からない迷走にも思われる。
 

・分離するための手法の違い

また、分離するという行為は超もDAIMAと同じだが、両者ではその方法が異なっている。

DAIMAでは、善のブウに自分達を一度体内に吸収させ、そこから体外に排出する事で分離に成功している。

超では、ナメック星のドラゴンボールを使用し、合体を解いたという設定になっている
(設定がアニメとは多少異なる場合がある漫画版の超においても同様)。

一度ブウに頼んで分離に成功したなら、その後に再度合体したとし、また分離が必要になったとしても、
同様の手順を取ればいいわけで

わざわざドラゴンボールを使用するのは回りくどいようにも思われる
(漫画版の超では、破壊神に使わせないためにと、先回りしてドラゴンボールを集めるという筋書きだったので
せっかくなので頼んだという流れではあるのだが)

界王神がブウによる吸収と排出を避けるための理由付けとして
ブウに吸収され排出される行為がよほど不快だったりした、等の理由を作る事は可能だろうが
DAIMA1話での彼らはそんな事をおくびにも出してはいなかったので後付け感が出そうではある。
 

 ここまでの情報を整理すると

ブウ(純粋悪)を倒して数ヶ月後に
キビトとの合体が嫌だったのでブウに頼んで合体を分離した界王神が

さらに数年後にまた合体した状態で存在し、またもや合体が嫌になり分離した

という筋書きは、少々違和感が強く
さらには分離の手法が、
ブウを使えば容易に分離できる事が分かった後で、わざわざドラゴンボールを用いるという大仰なやり方を取る事にも
それなりの不自然さを生んでいると思われる。

これらの事は断定できるような決定的な根拠とは言えないだろうが、
二つの作品を結びつけるためには、界王神にだいぶフラフラと考えを変えさせ、迷走させる必要がある事は間違いないだろう。

余談であるが、「原作最終回のその後」の時系列であるドラゴンボールGTにおいては界王神は合体したまま登場している。

原作から派生した種々の作品の中で、界王神の姿や行動がそれぞれ異なっており
その事が作品間の繋がりを顕著に阻害しているというのは言えそうである。

 

 

 
【根拠2 悟空の変身形態の話】(※作品のネタバレがありますので再度注意)

 

DAIMAと超が繋がってないのではないかという根拠は、上述してきたものがメインで
それに比べると オマケ的な小粒なものになるが、一応もうひとつの根拠も示してみたい。
 
DAIMA最終盤において、悟空は超サイヤ人4に変身した。
子供化状態においては変身にナメック星人の力を借りたが
大人化してからは独力で変身していた。

最終話の口ぶり的にも、ゴマーとの戦闘中に初めて覚醒し、その時だけの一時的な変身というような事ではなく
前から変身出来てたよう口ぶりであった。

この事からDAIMA世界の悟空は超サイヤ人4に変身できる存在という事になる。

そこで少々の疑問が生じた。

「神と神」の序盤、悟空は破壊神ビルスに挑み破れるが、
その際超サイヤ人3までしか変身せずそれ以上の変身はない、という様子だった。
(筋書きの多少違う漫画版の超においても同様)

力を隠したり、様子見するために
敢えて超サイヤ人4を温存した可能性や、
変身する機会もなく超サイヤ人3のまま叩きのめされた可能性もあるが
違和感は残るとも言えるだろう。

その後も、超の物語の中では超サイヤ人4の存在は一切出て来ない。

代わりにゴッドの力を身に付けたので
超サイヤ人4になる必要はなくなったからかもしれないが。

 悟空の超サイヤ人4と似た話で、DAIMAではベジータが超サイヤ人3に変身していた。
悟空の超サイヤ人4と同様に、その場限りの変身ではなく、以前から独力で変身できるようだった。

「神と神」において
ビルスにブルマをぶたれた時、ベジータは激高してビルスに攻撃をしかけるが
その際に超サイヤ人3にはなっていない。

格上に全力で挑みかかっていく際に、超サイヤ人3に変身できるなら、そうしそうなものではあるが…
というのも違和感という程ではないが、思わないではない。

勿論、というか、悟空の超サイヤ人4と同じく、超の物語の中でベジータは超サイヤ人3になる事はなかった。

これらの事から、DAIMAの悟空とベジータは、超の悟空とベジータとは、違う行程や世界観を歩んでおり、
異なる能力を備えた、異なる世界の別人なのではないか、という疑問が多少なりとも想起された。

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【まとめ 根拠1、2を受けて】

以上のような点から

DAIMAと超の物語、世界は、直接的には繋がっておらず
それぞれが別の、有り得たかもしれない世界線を描いたパラレルワールドなのではないか、

という可能性が強まったように思う。

それぞれの物語が原作最終回の未来に繋がってるかは定かではないし
両作品とも原作最終回には繋がっていない可能性も考えられる。

なので、原作最終回と繋がってるのは超のラインと思うのも
超でなくDAIMAこそが繋がってると思うのも

そのどちらとも原作と繋がっていないと思うのも、どれも有り得る話であり、自由なのである。

これは、GTが原作最終回の直接的な続きであるか、パラレルな世界であるか、人によって見解が異なっている事と近いだろう。

当然として、
実際はDAIMAと超が繋がっており、その後に原作最終回(やGT)と繋がるのだと考えるのまた自由であるし

人それぞれで思うように楽しむ事が重要だという事ではないだろうか。

超やDAIMAによって、原作から派生した物語の「可能性」が様々に生み出されたが、
人それぞれに好みや考えは違うという事を尊重しつつ、
各々が自由に楽しんでいけばいいのではないかと

持論を残して終わりにしたい。

ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
読んだ方の疑問やモヤモヤが少しでも解消できていれば幸いです。

それでは